―お桂ちゃんのしあわせ― メルヘン的で詩情豊かな銅版画を描いた南桂子(1911-2004)は、画家仲間や友人に"お桂ちゃん"の愛称で呼ばれていました。 富山県高岡市の名家に生まれた桂子は幼くして父親と母親をなくす境涯にあいます。母は、文学や芸術にたいして旺盛な興味をかくさなかった人で、情熱的な歌を詠み、父は東京帝国大学法科大学(現、東京大学法学部)を卒業し、新しい科学を郷土にとりいれた人物でした。富山の大自然に囲まれた広大な屋敷で、大所帯の親族の手によって、桂子は明るい活発な少女に育ち、美術に興味を持ったのは女学校時代でした。詩作や絵画の創作にふける日々を過ごしていましたが、そののち、意にそまない結婚をしたことはほとんど知られていません。 佐多稲子や壷井栄の知遇をえた桂子は、上京して童話を書き始めます。自活の道を選んで戦後に離婚。1954年にフランスに渡って本格的に銅版画の技術を習得します。作品には、童話からぬけだした少女や自由に羽ばたく美しい鳥、そして峰が連なる山々や羊、そして花や小鳥が南桂子の「bonheur幸福」の象徴として独自の世界を生み出しています。 みずからの母親不在の記憶と日本にのこした自分の子供たちへの想い。後に夫で世界的な銅版画家となった浜口陽三との生活に生きながら、同時にけっして実現できなかった子供たちとの夢。 南桂子の作品は、未来と幼い記憶を結ぶ不思議な空間を生みだし、お桂ちゃんの化身の少女は深い沈黙のなかでたたずんでいます。 この展覧会では、これまでヴェールにつつまれた南桂子をめぐる「物語」をひもとき、銅版画のなかできらめく幻想世界をつくりだした作家の心を探ります。本年発見された、渡仏前の1950年代初頭に描いた油彩画と当館所蔵の南作品250点のうち初期作品をふくめるカラーエッチング約80点をご紹介します。
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