私は富山県入善町椚山新の出身です。旧の椚山村には長島家という素封家がいました。当主は、東京美術学校の彫刻家を卒業し、油絵もお描きになりました。私はしょっちゅう長島先生のお宅に行って絵の勉強をさせていただきましたが、そこへ南桂子さんもいらっしゃって一緒に絵を描きました。当時、戦争中ではありましたが、長島家は一種の文化サロンでした。 |
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南 桂子 蝶と水 1963年 |
後年、 私はパリに留学し、南さんのところへご相伴にあがりました。当時、巨匠に近かった浜口先生によく尽くしておられました。お客さんが多いのですが、食事を全部できぱきと作って、いやな顔をなさらない人でした。炊事場の脇に仕事場がありました。時間が少しでもあれば、版画を彫るからです。 自分一人になって苦しんでもだえたことがあったかもしれませんが、そういうところを一切見せない人でしたね。明治の女という表現がありますが、やはり芯の強さを持っておられたと思います。 南さんのナイーブな表現には、気取ったところがありません。そして何よりも自然の命の表現があります。人物には、何ともいえない悲しい、こちらが肩を寄せてあげなくてはならないようなものが漂っています。はじめは弱そうだけれど、見ているうちにだんだん相手が強くなります。力強さがじっと出てくる。それが不思議な魅力です。 |