イベント情報 | |
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講師 | 増谷寛(植田正治事務所) |
日時 | 2014年12月6日(土)17:30~18:30 |
定員 | 50人 |
参加費 | 入館料+200円 |
日本を代表する写真家の一人、植田正治(1913-2000年)は
メゾチントの深い黒に魅了され、写真に取り入れようとしていました。
植田正治の孫であり、その作品づくりを近くで体感してきた増谷氏に、
スライドを見ながらお話いただきました。その一部を紹介いたします。
植田正治(画像①)は鳥取で生まれて中学三年生から写真を始めました。鳥取で写真館を営みながら、若いころはカメラ雑誌の月例の公募で入選をくりかえしてそのままメジャーなことに関わるようになりますが、基本的には自分は生涯アマチュアだと言い続けておりました。プロとの違いは依頼されたものではなく、自分の好きなものを好きなように撮る、撮らせてもらうというスタイルです。1995年に植田正治写真美術館ができます。ちなみにいらしたことがある方はいますか?(数名挙手)ありがとうございます。この後スライドで作品を見ますけれども、いつか現物を見て白と黒の光沢の違いとか表現など、よく見てもらえたら嬉しいです。 |
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簡単に自己紹介をします。私は1967年生まれの、植田正治の長女和子の長男です。当時植田はまだ若かったのでおとうちゃんと呼ばされていました。夏休みになると私と姉は母方の実家である正治の家で過ごすという生活を送っており、何かにつけて身近なひとでした。きちんと写真を教わったわけでは無いですが、新しい作品がでると家族全員に「どう?」と見せるような自由なひとで、そういう部分が強く印象に残っています。植田正治事務所として色々な方々に植田正治のことを知っていただけたらと思い活動しています。 私が中学二年の時の写真(画像②)です。鳥取の家から数分のところの、弓ヶ浜という所で植田が撮った作品です。砂丘と書いてある作品は全部砂丘で撮影したとくくられがちなのですが、家族の作品シリーズはこの弓ヶ浜で撮った作品が多いです。 |
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まず今日の主題「メゾチント」について考えてみましょう。植田自身も浜口陽三作品を知っていました。4年前にこちらの美術館から2人展のお話をいただいた際に浜口さんのことを調べてみると、作品をどこかで見たことがある。また、奥さまの南桂子さんの作品も見たことがある。よくよく記憶をたどると植田は浜口さんと南さんの作品を並べて壁にかけていた時期がありました。1980年代だと思います。植田はお二人の作品が好きだったということと、それがご夫婦の作品ということも理解して飾っていたのだということを私も4年前のその時に知りまして。そういった中で、植田が浜口作品のどこに魅かれたのかということを今回改めて考えるきっかけをいただきました。 |
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メゾチントの言葉の意味を少し考えてみました。メゾというのは皆さん御存じだと思いますがピアノでメゾフォルテというとやや強くという意味で使われるように「やや。中間。」のという意味。では、チントは「色合い」と訳される。合わせてみると「中間の色合い」ということになります。では写真でいうところの中間の色合いというのはなんでしょう。 「雑巾がけ」とは植田が写真をはじめたばかりの1910年代ぐらい、戦前のピクトリアリズムという芸術写真における日本固有の手法です。油絵の具を用いて諧調を操作することができ、暗いところと明るいことろを自分でコントロールしてハイライトやシャドウをつけたりできる手法で、初期の植田の作品に時々見られます。 |
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《参加者からの質問》 ▶ピクトリアリズムという手法自体が戦争をはさんでほとんど消えてしまいます。終戦して日本が復興し始め、休刊していたカメラ雑誌が復刊して月例で投稿での審査もまわるようになってきました。植田正治は代表作「パパとママと子供たち」(画像⑤)などがあり、評価を得て雑誌に出ていたのですが1952年頃をを境に10年間ほど月例の雑誌にぱたりと出なくなります。 |
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本日は写真をやっている方がたくさん参加されているので、ご存知かもしれませんが印画紙にはRCペーパーとバライタ紙という種類があります。写真の現像というのは現像液、定着液、定着液と薬品に三回通して最後水で洗います。RCペーパーというのは1970年くらいから世の中に普及した、紙というよりは樹脂でできている印画紙で、薬品のきれがいいのが特徴です。薬品の処理も、水洗も、乾燥させるのも短時間で済むというメリットがあり、商業写真上非常に重宝された印画紙です。それに対してバライタ紙というのは、硫酸バリウムという塗料が塗りこめられ白く調色された紙に印画紙の薬品がついています。白の上から印画紙の紙の繊維にしみこんでいる状態で、薬品を三回くぐらせる時に紙がよく薬品を吸うので、非常に時間がかかりますが、その分深い諧調が得られるのが一番の特徴です。植田は新しいもの好きなので、手軽なRCペーパーに飛びつきましたし、色々と作りました。1980年頃になるとやはりRCペーパーよりバライタの方がということになるのですが、実際には晩年までRCペーパーの作品というのも残っております。手軽ということもありますが、その粗い諧調も時として演出と考えていたようです。 RCペーパーの作品「砂丘モード」(画像⑥)です。雲の部分だけクローズアップすると、白と黒の部分が島縞模様のようになっている。白くとぶところは真っ白。白からグレーになるところが比較的くっきり見えてしまっているものの、こういった色合いの粗い諧調が時として不思議で面白いと言っている人でした。完成したものを「ダメ」「無し」とはなかなか言わない人で、できあがったものを「あ、これもありだな」「これも面白いな」と、そうゆう方向に物事をつないでいくことが非常に多いひとでしたので、そういうところでRCペーパーも使っておりました。 |
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《参加者からの質問》 ▶RCペーパーに関してはフジプロを普通につかってました。営んでいた写真店がフジカラー特約店でしたので、感材に関してはフジフィルムのものが圧倒的に多かったです。バライタ紙に関してはどれかにこだわってという情報は少く、固めよりも柔らかめの方を好んでいました。私が大学を卒業する前の夏休みに一カ月くらい植田の家にいた時のことですが、フィルムや印画紙、暗室などは自由に使わせてもらっていました。ぷらぷら写真とって暗室で遊んでいる僕に多分その時の植田のマイブームというやつなんでしょうね、とても特殊な印画紙の、四つ切りの束の入った箱を持ってきて「これ、いい印画紙だからお前もつかえ」と言って、舶来のいわゆるアート用の印画紙をポンとわたして、知識も無い私に「これはバライタだからな、良く洗え」って一言だけつけたしてふっと消えていきましたけど。(笑) |
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これまでお話したように、本とか雑誌のなかでは実験や挑戦という名目で様々な表現を模索し続けた植田ですが、晩年、写真を現像する際には、その黒いしまりをすごく気にしていたそうです。『カコちゃんが語る植田正治の写真と生活』(平凡社)という本には「黒の調子をものすごく大事にしていて、自分の目で確かめながら作業していました」という記述があります。僕は一緒に暗室に入ったことはないのですが、暗室で写真の黒を確かめるために光をつけることにさえもせっかちでイライラするくらいだったそうです。 晩年の作品にこのようなもの(画像⑧、⑨)があります。これが4年前にこちらの美術館で二人展を開催する際に浜口陽三作品を見せていただいた時に「あ!」と驚きました。さくらんぼが青い器に入っている静物の写真、たけのこが黒いテーブルの上に浮かんでいるかように置かれている写真です。晩年、家のテーブルの上にこのように静物が置かれていました。浜口さんの作品に憧れ、そして挑戦しようという意識があったのではないかと思います。そういう中で、黒のしまり、階調表現を大切にして写真を表現することを実践し、このことに関しては植田がおそらく生涯貫いていたのだと感じています。 |