写真左から、小野耕石氏、滝澤徹也氏、中谷ミチコ氏、谷川渥氏。
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谷川:
今日は、ちょっと珍しいやり方で制作されている三人の作家たちをめぐる座談会です。凹凸に降るという変わったタイトルで、これは作家の方々自身が決められたタイトルだそうです。広い意味での版の作品と言って良いと思います。僕は芸術の原理の中に版というものが非常に重要な形で入り込んでいると考えています。これまで版の問題について、いろいろな機会に書いてきました。もちろん版画の版ですが、必ずしも版画だけではなくて、いろいろな形で芸術の中に版が入り込む。そのことをもうちょっとクローズアップしなければいけないな、という問題意識を持っています。実は僕も三人の方にお会いするのは初めてなんです。なかなか語りずらい作品が並んでいるんですね。
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この本が知的要素のみで成り立った今それは美と芸の学術として成立しただ純粋に絵を描く事を失ったものである。
2003
スクリーンプリント・油性インク、顔料
24.0×18.0×9.0
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小野:
僕は、シルクスクリーンという技法を使った作品を中心に制作をしています。今回かなり僕の作品の中でも特殊なものを出品しています。どんどんインクを刷り重ね、インクをどんどん分厚くして、作品自体がすべてインクの塊で出来ているインクの塊、ざっと7206版刷り重ねたインクの塊です。
最初の本を作ったのは2004年でもう15年前です。学生だった時代、技術力が上がって、いろいろなことが出来るようになった時に、どんどん刷って蓄積したものがインクだけの状態に出来るということに気が付いて、こういう作品を作ろうと思ったんです。
谷川:
ああいう風にしてインクを重ねるという作家はいましたか?僕はあんまり聞いたことないけど。
小野:
どうなんでしょう。下調べをする前に走り出してしまったので(笑)。ちょうど広辞苑が手元にあり、この作品は広辞苑と同じサイズに作ってあります。本というのは知的要素の塊であろう。知的要素が詰まった本というのは紙の部分と文字の部分で出来ているだろう。その知的要素は紙の部分ではなく文字の部分であろう。その文字の部分はインクで出来ているわけだから、その知的要素がインクだけで成立した時に、それが知的要素として成立するのか、ということを考えていました。
谷川:
本のメタファー、知識が詰まっているとかね、そういう人間のシンボリックな位置づけということがよく行われていて、例えばアンゼルム・キーファーが鉛の大きい本、作りましたよね。あれは核戦争後も知識が本の中に残るという意味合いが込められていたらしいんだけど。だから本はある種のそういう知的なシンボリックな意味づけに乗っかっているところがあると思うんです。(略)本を造形するということはひとつ大きな藝術史上の問題と思っているんですよね。ある意味でもっともらしい(笑)ていうのもあって。ああいう形にインクを重ねて、またひとつ本の歴史に新しい一ページをつけ加えたと思うんですけどね。そういう意味では、新しい試みかなという感じがします。
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絵を描く事を失ってなお表現が固定観念からの通過を語るかぎり 版と支持体からの自立を経ても重力からの恩恵と制限から解放されることはない
2019
スクリーンプリント(7206版)・油性インク
15.0☓51.0☓6.0
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小野:
14年を経て、また本の制作をしましたが、7千版を超えて刷っていくと、それが本の形態からどんどん離れてしまう。それが僕の制作をやっているときに、一番メインに考えているところなのだと思います。
谷川:
本だけでなくて版の可能性をいろいろ追求していると考えていいかな、ポジティブに考えてみれば。
小野:
そうですね。
谷川:
耕石さんの作品(注:地下の新作)は、どんと塊がある。「なんだこれは」と思う。そこらへんはどう思いますか。
小野:
そうですね。インクの塊の作品というのは、人生の中で2作品目です。どの作品を作る上でも、作家の永遠のテーマじゃないけど、どこで作品は完成するのかが、すごく重要なところだと思っていて。いざこういう作品を作ろうと思った時に、ある程度作家にはイメージが出来て、それに向かって進んでいくんだろうけど、いざ物質と向き合って何かを作り始めたりすると、いろいろな工程を経ている時にずれが生じてきて、イレギュラーが出てきて、いろいろなことを考えながらやるんだけど、そこに出てくるイレギュラーなものっていうのが、すごく僕の中で重要な気がして。どこが完成なのか、どこが未完成なのか、みたいなところにつながっていくような気がして。本のような形をした作品は、同じものを何回か積み上げてゆけば、きれいな長方形の立体になるはずなんですよ。だけど、いざ刷ってどんどん積み重ねてゆくと脇の部分だけが非常に分厚くなったりだとか、真ん中の方はくぼんできたりとか。
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(手前)牛と少女
2019 透明樹脂、石膏、顔料
(奥)接吻
2019 透明樹脂、石膏、顔料
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中谷:
今回展示している作家の中で、唯一彫刻家として参加させていただきました。作り方は、水粘土でレリーフを制作して、それを原型として石膏取りし、雌型を作るのですが、その内部に着彩をして、その中に透明樹脂を流しこみます。そこで人間の目の錯覚なのですが、見る人が左右に動きながら見ても、モチーフが絶えず鑑賞者の方を向く。鑑賞者自体が作品に鑑賞されている。一番代表的なのが顔の作品で、顔はずっとこちらを見ているという作品です。
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夜を固めるⅠ(ちょうちょう)
2019 透明樹脂、石膏、顔料
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中谷:
下(の展示会場)に黒い樹脂の作品もあって、今回、浜口陽三さんと共演するにあたって、暗闇の感覚は、浜口さんと共通するものがあると思いました。
流し込む樹脂に黒い透明の顔料をまぜこんで、型の深さが、表面に浮かび上がる色の濃淡を決定しているという作品です。ちょっと、自分でも作っていて訳が分からなくなるくらい、いろいろなことがこの四角の中に閉じ込められていて、ひとつひとつ手探りで見てほしいと思っています。
谷川:
彫刻とは、伝統的にはマッス、ボリュームですよね。要するに塊をぽんと現前させるのが、本来の彫刻のあり方だけど、中谷さんは、いはば極というかね、その否定性をやっているわけですよね。それで彫刻家と称してやっているところがある種の逆説的な立場だと思うんですけれどもね。
中谷:
そこは逆で、私は彫刻家として不在性の肯定をしていると捉えています。ドイツ留学をしたんですが、はじめの頃は言葉もよく伝わらないし、とにかく彫刻の素材に辿りつくことが出来ないという中で、自分の一番そばにあったのが、絵を描くこととか、ドローイングをすることだけでした。自分の中に生まれてくるイメージとか、そういうものを描きつづける。その描いて流れては消えていってしまうイメージをどういう形で彫刻に置き換えられるか、(中略)、不在であるはずのイメージの存在をどうしたら彫刻化できるかという中で、そのあり方のまま、不在のままに存在するイメージにマテリアルを与えたかったと云うことかもしれません。
谷川:
伝統的な彫刻には、運動しているものを彫刻するかどうかという問題があって(中略)ロダンが言っているんだけど、例えば円盤投げする様子を写真に撮って、それをそのまま造形化したら良い作品になるかというとダイナミックな形にならない。手の先足の先、それぞれの時間性を変えていかないと形に見えない。写真にしてそれを固定化すれば彫刻になるのではなくてね。だからそいういう問題というのは、彫刻の議論の中であるんだけど、
中谷:
時間性の問題、そうですね。
谷川:
全部運動しているでしょう。中谷さんのはね。
中谷:
はい。確かにそう云う部分はあります。時間を内在させる。
谷川:
次は滝澤徹也さん。なかなか変わった制作の仕方をする方で、作品を見ただけではちょっと分かりづらいので、そこら辺をどんな風にやったのか、ちょっとご説明ください。
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発酵絵画-麹菌を培養し顕微鏡撮影したイメージを、米粉下地(味噌等に使う米粉を10数層塗り重ねた半透明の下地)に煮詰めた米粉と種麹をインクとし刷る-
2018
スクリーンプリント・米粉下地パネル、種麹他
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滝澤:
こちらの壁面にある作品は、秋田の醤油味噌屋さんの歴史を視覚化するというテーマで、麹室がそのままありまして、目張りに和紙を使っていたので、そこから菌を採集して、培養して。支持体の方は、味噌で使う米の粉でして、それを十数層、重ねて、半透明な下地を作ってやってます。その上に、そこの麹菌を培養して、それを日本大学さんの協力で顕微鏡撮影させていただいて、写真製版して。刷る際は、米の粉を煮詰めたもので、その麹の種を(上から)蒔いて、それが色として出てくる。何層かの段階で、実際にそこで菌が生きていくのが可能な状況を作って、作りました。
谷川:
発酵させている、ということでよろしいでしょうか?
滝澤:
はい、ただ展示の際にはコーティングして、(アルコールも使って)止めて、(発酵を)止めた形で展示しています。
谷川:
ははあ、聞いてみないと分からないですね。あそこの蜘蛛の巣の作品、あれはどういう形でやっているんですか?
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蜘蛛の巣 -ジョロウグモ-
2003
リトグラフ・和紙、油性インク(和紙を作る過程で出たアクから作ったインク)、他 118.0×90.0
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滝澤:あれは大学二年の時の作品なんですけれども、蜘蛛の巣に一度、蜜蝋とサラダ油と吹き付けて、蜘蛛にちょっと退いてもらって、吹き付けて、アルミ板を持っていって、吹き付けたものを写す。ドライヤーで乾かして定着させて、製版して、インクもその時の、わたしが紙を作った最初の和紙なんですよね、その紙を作った時の材料の灰汁を煮詰めて。
谷川:なるほど。滝澤さんの中でもわかりやすい作品だと思いますね。ある意味イコン的になっているからあれはあれで面白いなと思います。滝澤さんは木版画や銅版画や鑿を使って彫ったりなどやったことないんですか?
滝澤:ほぼないですね。
谷川:では伝統的に言えば、デカルコマニーや、フロッタージュや、写真製版という形になりますかね。
滝澤:そうですね。
谷川:それぞれのトポスで、いろいろな素材を使って、酵母を発酵させたりとかいろいろな手続きをやった上での、最終的なアースワークという、そういう形になりますかね。
滝澤:そうですね。
谷川:トポグラフィックと言ったら良いと思うけど。滝澤さんの作品は、「版のトポグラフィ(地誌学)」だ。僕の命名だとね。
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《制作風景》流れを刷る-ガンジス川で紙を作る-
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(スライドで映像が流れる)
これ、おもしろいですね。一体何をされているのか説明して下さい。
滝澤:
これはガンジス川の中で紙を作っているところで、下に飾ってあります。30点くらいある中から。最初は、行った当初は、ここガンジス川は聖地であり墓地であり、そういう場所だったので、そこで何をすべきか、というところから(考えました)。
谷川:
木枠でこうやって紙を作ったんですか。
滝澤:
はい、現地で枠を作って、最初にお土産用に持ってきた自分で作った和紙をガンジス川に溶かします。後半は、一か月半いたので、現地の材料を使って紙を梳いて。
谷川:
なるほど、技法でいえばインデックスなんですね。それを徹底しているところは面白いと思いますけど。
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流れを刷る-ガンジス川で紙を作る-
2013
インドの再生紙原料、ガンジス川の水、他 64.0×91.8
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滝澤:
自分でも何ができるか、分からないところでやっています。
谷川:
世界中放浪しながら、よくやっていますよ。なかなか大したもんですね。
滝澤:
出来るかできないか分からないところで、ただ形は、その場所と人間と自然の関係で新しいものが出来ればよいかなと。
谷川:
滝澤さんの作品はね、最終的には作品になるんだけど、その前の物語がおもしろいんでね。だから本にでもしたら良いんじゃないですか。そこが、作品の物語性が認められるかどうか、評価が分かれるところだと思いますけどね。
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《制作風景》Landscape(Norway)-海岸の岸の窪みの固まった廃油?で岩肌をこすりつける-
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谷川:
この撮影はどなたがやっているんですか
滝澤:
(カメラは)固定で。自分で。このあと(カメラが満ち潮で)水没して、なくなったりして。(会場 笑)
谷川:
制作の物語性がおもしろい。日本でこんなことやっている人はあまりいませんね。ここまでやっている人はね、いない。いろんな連中がいるけど。
会場からの質問
そもそも展覧会のタイトル「凹凸に降る」は三人で決められたんですね。
どういう意味なのか、これを見た限り、さっぱり分からないんですけれど(笑)。「表面的なこと、表層という意味では良くわかるんですが。」
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1階 展示風景
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中谷:
私のイメージとしては、浜口陽三さんの作品もそうですけど、ものすごく小さな凹凸を三人とも探っていて、凹凸とはあるところとないところの境目、もっともっと細かい凹凸の中にインクが溜まってくるというか、溜まって、こう夜の闇ような、浜口さんのメゾチントではないですが、そういうイメージを、三人共通して持っているような気がしていて。ここで起きている現実というものに、(三人とも)違う方法論で向かっているのではないかと思いました。そこで凹凸というタイトルが割としっくりきました。いろいろ考えたんですけど。
小野:
割と何パターンか考えて決まったタイトル。もともと「作っているものから型をとる」ということから。でも僕ら、型をつくることに100%意味がある、とは考えていなくて、そこに出会った時の「隙間」、「間」が、表現の中で重要じゃないか、と。
滝澤:
私個人の作品(発酵絵画)でいうと、米で凹凸を作って、それに麹菌を降らしていくということでやっていく。(手で麹菌を降らす仕草)
小野:
降らしていく。
中谷:
私も樹脂を流し込んで、(小野君の)シルクスクリーンも上から版を垂らし込んで、垂直の運動の結果、生まれてきたもの、というのが、結構しっくりしましたが、どうかな。
谷川:
版というのが平面なんですよね。降るは垂直の動きですね。ある種の違和感と面白さがあるんじゃないですか。
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