イベント情報 | |
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出演 | 丹阿弥 丹波子(銅版画家)、 |
日時 | 2015年5月10日(日)14:00~15:00 |
定員 | 50名 |
参加費 | 入館料+200円 |
作品や制作のことなど、40年来刷りを担当されている小川氏と共に語っていただきます。
銅版画作家の丹阿弥丹波子様と、40年にわたって刷り師を担当されてきた小川正明先生の対談が行われました。親子の様なお二人の談笑に、会場は温かく盛り上がりました。 《お二人の出会いと刷り》 小川:銀座に、美術家連盟という会館がございます。昔はそこに版画工房があり、丹阿弥先生とはそこで初めてお会いしました。そのうちに工房が閉鎖になり、丹阿弥さんもご自分でプレス機で刷るということになりまして。 丹阿弥:工房にいる時にとても厳しい刷りをなさっている方で、ぜひこの方と思って刷りをお願いするようになりました。 小川:私も連盟にいる頃は、いろいろな作家の刷りをお手伝いしていたのですけれども、丹阿弥さんの仕事ぶりを拝見していて尊敬するという気持ちで、ずっと刷ってきてしまったということです。でも本当にあっという間というか。 丹阿弥:そうですね。あっという間にもう40年経っていますね。今だに気楽に刷りをお願いするんですけれども、偉くなっておしまいになって(笑)。 小川:私は本当に二足も三足も草鞋をはいてしまいまして。ただ気持ちを切り替えて、丹阿弥さんの刷りの仕事をする時には、その作品が丹阿弥さんの思いが伝わる刷りになるように考えて刷っております。 丹阿弥:とにかく厳しい方で、版で妥協はしてくれないんです。融通が利かないというか。 小川:逆にいうと、丹阿弥さんも非常に厳しいんです。まさに妥協を許さない。 丹阿弥:お手間をかけないようにと、そういう点で一生懸命心がけてはいるんです。小川さんならこうしてくれるなというのが分かるから。 小川:どのくらい黒を作る「目立て」に時間をかけているんですか? 丹阿弥:若い頃は一点に4ヵ月くらい。銅版画の目立ては、こういう絵にしようと思ってはじめないと出来ないんです。4ヵ月なら4ヵ月、その作品のことだけを考えていますね。 |
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《四季折々の仕事》 小川:刷る立場からすると「実」、これなんかは刷りの中では一番難しい方だと思うんです。それは丹阿弥さんが、綿の実の柔らかさを出すために、版作りをものすごく苦労されていまして、それを何とか表現しようとすることになるからです。また「ヒヤシンス」は、やはり明るさを出す表現が非常に難しくて、なかなか一度では決まらなかった。あれはメッキしてから丹阿弥さんが、銅板が見えるまで更に削ったという難しい版でした。 小川:もう一つの難しさは、季節によってインクの状態、紙の状態が全然違うことです。銅版画は刷る時に紙を湿らせるんですね。この湿らせ方によっても、紙の種類によっても違う。また丹阿弥さんが使われているのはフランスのBFKという紙ですが昔と比べると質が違ってきているし、インク自体の質も違ってきている。 丹阿弥:湿度や温度でずいぶん違ってしまうのね。 小川:それから丹阿弥さんは、フランスのシャルボネ社のインク使うのですが、このインクも夏場と冬場では違うんです。何種類か混ぜるんですが、その混ぜる割合も変えます。私が厳しいなと思ったのは、刷りやすいという意味で別の種類のインクをちょっと混ぜたりすると、刷りあがった作品を丹阿弥さんが見て「これは違う」とおっしゃる。やはり色味が微妙に違うんですね。そういう意味では僕にとってはごまかせない。 《プレス機について》 丹阿弥:私のプレスも良いプレスでしょ。電動で使いやすいでしょ。 小川:皆さん、お札の原版は銅版画で作られているとご存じですか?あれはビュランという道具を使って、大蔵省の技官という人が彫って作っています。もちろん印刷用に製版して、輪転機で作っているんですが、最初の原版は彫っている。そういう技術を持っている人ということで、偽札が出るとまずは昔は銅版画家が疑われた。そういう話があるくらいなんですね。(会場大笑い) |
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《作家・丹阿弥丹波子》 小川:40年お付き合いをしてきましたが、この非常に緻密で時間のかかる仕事をコンスタントにされておられます。世の中の動きには非常に波があって、ある時は絵画ブームとか、そういう流れの中で流されていってしまう作家さんも中にはいますが、丹阿弥さんはもう一貫しているんですね。そういう時期も決して多作でもない。仕事に追われて慌てて作品を刷ったことがなかったなと。 丹阿弥:そうですね。不器用なんですよ。絵は売れるからいっぱい作った方が売れるからと思っても出来ないんですよね。そうかといって、売れなくなったからといってもやめるという気もないんで。同じ調子で昔から今に至るまで自分の絵を作っていますね。 《質問1 浜口陽三の思い出》 丹阿弥:浜口先生と一番最初にお目にかかったのは、最初に個展やっている時です。母がご署名簿の脇に座っていてくれまして、私は中の方で他の方とお話ししていたら、そばにきて「あの方有名な方じゃない?」とささやいてくれまして。見たら真っ赤なセーター着てる方が私の絵を見てくださっている。その当時、男の方が赤いセーター着てるなんて珍しかったんです。ずいぶんハイカラな方だと思ったら、いきなりこっちお向きになって「やってるね」って。大きな分厚い手をしていらっしゃるんですよ。その手で背中をバーンとたたかれちゃって。(会場笑)それからいろんな話をうかがうことが出来て、刷りやインクのことなど、すごく収穫があったんです。とても陽気なかたで、不思議に私が個展やるといらしてくださった。とても開放的に技法の手の内をお話ししてくれるので、安心してお話が出来、いつも一、二時間過ぎてしまいました。 《質問2 銅版画をはじめたきっかけ メゾチントをはじめたきっかけ》 丹阿弥:長い話になりますけど、銅版画の厳しさみたいなものをね、長谷川潔先生の作品を見た時に感じたんです。油絵は上から描き直したり、塗りつぶしたりできますでしょ。私それが嫌だったんです。長谷川先生のお作品を見た時、その点がとても厳しいものに感じて、銅版画というものに興味もっていたんです。でもどこで習えばよいか分からなかったんです。当時は大学できたばっかりくらいで、版画部なんかなかったの。そんな時代に文房堂で銅版画の教室をやるっていう広告見たんです。それで応募して入って、そこで初めて銅板というものを手にしたんです。当時は駒井哲郎先生でいらして、出会いはそこからなんです。 丹阿弥:メゾチントは、長谷川先生の黒い絵を見ていましたし、それから浜口先生のお作品も見ておりました。こういう黒の世界にすごく魅力を感じまして、駒井先生のところでメゾチントやりたいと申し上げましたが、その頃日本に道具がないんですよ。駒井先生がひとつだけ、フランスの古道具屋で買っていらしたのをお持ちだったんです。それを先生が文房堂に預けて、日本の木版の刃物を作っている職人さんに、同じものを作らせたんです。それは銅版にはちょっと柔らかいんですが、最初の1、2点はそんなのを使っておりました。そしたら文房堂が工夫して、アメリカから輸入してくれて今それを使っております。 |