イベント情報 | |
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出演 | 池内晶子×木下長宏(美術史家) |
日時 | 2013年6月22日(土)15:00~16:00 |
参加費 | 入館料のみ |
定員 | 60名 |
申込み | 5月25日(土) 11:00より電話受付(先着順) |
出品作家の一人、池内晶子が、対談相手としてお招きしたのは、
池内作品を10数年見続けている、美術史家・木下長宏先生でした。
感覚と意識化をさぐる作家の行為を、会話の中で先生が簡単な言葉を選びながら秩序づけ、
さらに作家を導いてくれる、濃密な一時間でした。
ほんの一部を紹介します。
■美術と思想 木下:芸術思想史というのは、「芸術」と呼ばれる現象を横断的に眺めていって、その活動に秘められているものを見つけ出し、それを人類の歴史の流れのなかに置き直して考えようとするものです。「芸術」活動を人間の生きかたの問題として考える、その「生きかた」を「思想」と呼びたいのです。そんななかで、池内さんのお仕事に出会って人間の生きかた、日々のなにげない振舞いのなかに深い意味が隠されていることを制作のなかでみごとに応えておられる作家だ、とファンになってしまったわけです(笑)。池内さんのお仕事は、現代という時代が抱えているいろんな問題を「芸術・美術」という立場から、決して声高ではなく、静かに、しかしとても深くまで考え連れて行ってくれる、そんなお仕事だと思います。それはどういうことかというと、池内さんの作品は、まずその前に立ちますと、「見る」ということを邪魔させます。それを「見よう」とすると「見えない」というか、「見る」ことだけが目的ではありませんよと、どこかで囁いているような気がするのです。近代以降の美術は、「眼」の働きをとても重視してきました。美術館に行きましても、作品がよく「見える」ように照明も工夫します。画集なども、実物を手にとっても見えないような部分に光を当てて拡大し、そうしてよく「見えたら」よく「解った」と思うようになってしまいました。しかし、昔は、つい200年くらい前まで、そんな「見えかた」を予期して作られてはいなかった。もっと、身体全体で感じ取るものだったのです。そういう現代では忘れられ捨てられた感覚、それを池内さんの作品は、思い出させてくれるような気がします。それは、太古の生命の活動を呼び起こすなにかに繋がって行くと言ってもいい。 木下:池内さんの作品は、真ん中に輪があり、糸が蜘蛛の巣のような網状に広がっていますが、糸は「張られている」のでもなく、「吊られている」のでもなく、「浮き上がらせている」のでもなく、「沈んでいこう」としているのでもない。そこに、重力から解き放されたように広がっています。一つ一つ結ばれた糸が作る網模様は、ちょっとした空気の動きで揺れ、すぐ近くまで近づいてみると、自分の吐く息が糸を揺らしているのを感じます。自分の吐く息に合わせるように糸が揺れるのは、不思議な感覚で、これは、海に入っていたとき、寄せては返す波に身体を包まれて、自分が波の一部になっているような、自分の内側と外側の区別がつかなくなっているように感じることがありますが、あの感覚。あるいは、飛行機に乗って、機体がぐんぐん上昇して、雲を突抜けたとき、明るく深い青色の空の下に白い雲の波が揺れている、あれは、日頃見ている雲の裏側を見ているのですが、そんな雲の波の上を漂っている感じです。日頃よく知っているつもりの糸の姿が、そんな思いもよらない感覚世界へ連れて行ってくれる。これは、やはり、さきほど申上げた、太古の生命の鼓動の感覚とつながりますね。重力から解き放たれることによって、「いま、ここに在る」ということの磁場のようなものに触れる感覚が呼び覚まされるとでもいえばいいか。 池内:絹糸は湿度によって伸縮します。壁から4点でしか支えられていませんし、交差している糸はすべて結ばれてつながっているので、伸縮や揺れは糸全体に伝わっていきます。人が近づけば、呼気に含まれる湿気を吸って伸び、自重で下方に弛み、振動します。人がいなくなれば、絹糸は張りを取り戻して水平面は上昇し、揺れはおさまっていきます。見るということは、どういうことなのか。見ようとすると遠のいていく。近づいて分け入ろうとすれば、糸は簡単に切れてしまいます。 |
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■記憶 木下:右回りの動きも、糸の動きを身体で感じて「見えてくる」という感じですね。「見ること」の「磁場」というのはそんなふうに働くのかもしれませんね。ラスコーの洞窟の話がでましたが、初めてラスコーを訪ねたときの衝撃は忘れられないものです。大広間と呼ばれる洞窟の両側にバイソンや鹿が群れをなして走っている絵が描かれているのですが、ほんとうに、バイソンたちが走っている足音が聴こえてきたのです、ラスコーでは、近代の写実とはちがう、「存在」と「生命」を描こうとしているのだ、という思いにとらわれました。それ以来、ラスコーの洞窟で成しとげられことを、もういちど実現しようと、人類は長い歴史を生きて来た、それが「芸術」の「歴史」ではないか、と思うようになりました。「存在」と「生命」に触れ合うこと、これは、人間にとって最も大切なことですね.本来「芸術」というのは、そのことを表現しようとする術なのだ。そんな思いは、池内さんのお仕事の底のほうに流れているように思います。 |
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■半円 |
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■赤 |
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■時とともに巡るもの |