展覧会情報 | |
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会期 | 2013年5月18日(土)~8月11日(日) |
入館料 | 大人600円 大学・高校生400円 中学生以下無料 |
休館日 | 月曜日(7/15 は開館)、7/16(火) |
開館時間 | 11:00 ~ 17:00(最終入館16:30。土日祝は10:00 開館。) |
●日時:2013年7月14日(日)16:00~17:30
参加費:入館料+300円 お茶とお菓子つき
定員:60名
申込み:5/25(土)11:00より電話受付 ※先着順
●福田尚代× 福永信(小説家)
対談 「福田尚代と福永信の小さな一時間」
日時:2013年6月1日(土)14:00~15:00
参加費:入館料のみ 定員:60名
申込み:5/25(土)11:00より電話受付 ※先着順
※トークの後、会場で1時間ほどティーパーティを開催します。
●池内晶子×木下長宏(美術史家)
対談 「時とともに巡るもの」
日時:2013年6月22日(土)15:00~16:00
参加費:入館料のみ 定員:60名
申込み:5/25(土)11:00より電話受付 ※先着順
※トークの後、会場で1時間ほどティーパーティを開催します。
●三宅砂織×飯沢耕太郎(写真評論家)
対談 「光のデッサン」
日時:2013年7月28日(日)15:00~16:00
参加費:入館料のみ 定員:60名
申込み:5/25(土)11:00より電話受付 ※先着順
※トークの後、会場で1時間ほどティーパーティを開催します。
日時:2013年6月8日(土)14:00-17:00
講師:江本創(アーティスト)
モノクロームメゾチント技法を使って製版から刷りまでを行い、
1 回の実習でポストカード大の作品を完成させます。
定員:18 名 参加費:1800 円+入館料
近づくと、息づいているような静物画のうす闇。
浜口陽三(1909~2000)の銅版画は、銅板を織物のように細かく刻んで、光と闇を生み出します。20世紀半ば、新しい時代の美術表現として銅版画を選んだ浜口は、ビロードのような色彩表現を求めて独自の技法を開拓しました。指先で触れてもたどれないほど微妙な銅の彫り加減によって、作品には無限の柔らかさが生まれ、さくらんぼやレモンに永遠の時間が流れます。
本展は、半世紀以上を経た今でも新鮮な魅力をたたえる浜口の銅版画の魅力を、現代美術と組み合わせて21世紀風に紹介しようと企画しました。詩人で美術にも造詣の深い高橋睦郎氏を顧問としてお迎えし、精神性の高い繊細な作品ばかりを紹介します。
細い絹糸を用いて、微妙な心の動きを空間に現出させる池内晶子。絹糸を手で結び、切るという行為の集積は、作家にとって絵画や彫刻に近似した営みです。意識下のものと触れる手段として制作があり、設営の場となるトポス(場・空間)と、自己の時間と記憶を重ねることによって、ひとつの抽象的な場を生み出します。この地下会場での制作は、先達である中西夏之氏、中原佑介氏、今野央輔氏との会話の中で投げかけられた問い、「壁、床、天井の境が分からないラスコー洞窟のような暗闇の環境でもあなたの作品は成立するか」に対する10年後の解答でした。展示会場は近世までは海の底であり、今も隅田川と、箱崎川の暗渠に取り囲まれています。作家は最初に支点を探し、方位に合わせて4本の糸を水平に張りました。そして「臨海」というこの場の長い生成の時間を感じながら水の流れを身体の水底で感じ、螺旋階段で地下に降りる行為と意識の深底を探る行為を重ね、思索しながら結び続けた赤い糸は、闇の中で幾重にも渦巻く水面を生み、鳥や花や火山の幻影にも似て、薄明か気配か生命の源のように広がっています。その光景は、例えば村上春樹のこんな一節を喚起させます。「そこは冷ややかな薄暗闇に包まれている。夜にしては明るすぎる、昼にしては暗すぎる。その奇妙な薄暗闇に包まれるとき、僕はまっとうな方向と時間を見失ってしまう。」(『遠い太鼓』1990年、講談社)。本展では、銅版画作品も11点展示します。いずれも微かな線によって成り立ち、近づいて凝視した時にその線が確固たる存在として見えてくる不思議な銅版画です。
言葉、書物、文房具を素材に、既成の文学にはない、はるかな物語を紡ぎだす福田尚代。2010年より制作し続けていた新作が、3月の京都での発表を経て、この展示会場では個々の作品が作家本人にとっても思いがけない新たな姿をとり、一連の円環する世界が形成されました。書物を折りたたんだ「翼あるもの」は、折り残した一行の言葉が連なって、長い彷徨からの帰還を告げます。彫刻されたけしごむには此岸と彼岸が現れ、原稿用紙の彫刻は透明感を帯び、水面に言葉がとけてすべてが終息した「凪」になりました。ほぐした本の栞紐はふんわりと天上を想わせる島の形をなし、亡き女性の名前を記して削り続けた色鉛筆の芯の彫刻は、まばゆい海岸に散らばった貝殻に姿を変えました。最後には文庫本から切り取られた古い頁が、湖面に浮かぶように青い光の台上に置かれています。一面に針で細かな穴を穿たれたその頁は、背後から穴の一つ一つに光が透過して、活字が活字としての形を失い消えてゆきます。星空のような光に満ちて、その静寂の先に何かが生まれることを暗示しているかのようです。作家が作品に耳を傾け、偶然と無意識の中を手探りしながら設営することが、そのまま制作となり、展示作品が悉く静かな何かを兆し、次なる飛躍を啓示する空間になりました。福田氏の作品はどこからはじまり、どこまで広がるのか、既成の観念で語ることはできません。個人的な感情や経験を発端として生みだされた作品が、展示空間において鑑賞者の万感を引き寄せ、鑑賞者自身を普遍的テーマへと振幅させてゆく、類例のない作品群です。
カメラを使わない写真、フォトグラム技法によって、現実と似て非なる透明な風景を作る三宅砂織。大学で絵画と版画を学んだ後にこの技法と出会いました。フォトグラム自体は戦前からある技法ですが、感受性と知的な観察や思索を通した三宅調とも言うべき独特の制作過程を通して、意欲的な作品を発表し続けています。夢幻的な初期の作品から、近作では一見すると現実寄りの研ぎ澄まされた風景へと画面が変化し、豊富な内奥からあたかも金剛石を磨き出すように、追い求めている世界に作家が近づいていることを感じさせます。今回は、個々の独立した平面作品と展示ケースの組み合わせで、全体でひとつのインスタレーションを作り上げました。左から右へ順を追って見てゆくと、車で森の奥へ分け入り、ゆるやかな光と時の流れに包まれて秘密の大きな湖と出会うという物語に迷い込んでゆきます。一見、写真のような現実感を装った、デッサンの要素が強い画面は、どこからか降る光を受けとめて燦然と輝いています。絵画と写真と、そしてイメージを一度突き放す間接表現という点では版画の特性も備え、現実と空想、現実以上の真実がめくるめく現れる画面に、若々しい眩暈を感じる方も多いことでしょう。このほか参考展示として三宅氏の出世作となった少女シリーズより、前期と後期の作品を1点ずつ選んでもらいました。モチーフは同じ少女です。飛び跳ねるようにまばゆい画面に登場した少女は、次の場面で噴水に背を向けて退場します。人生を暗示するような謎めいたストーリー仕立てになっています。
4人の作家とも、独自の方法を追求し、繊細で控えめな表現によって、今までどこにもなかった悠久の世界をつくりあげています。深い森の中を抜けて出会う湖のように、新しい気配や新しい光を感じてください。
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション