11代目濱口儀兵衛が10代目のあとを継いだのが1943年(昭和18年)の第二次世界大戦の真最中でした。戦後の混乱、原料不足など多難な時代を経て、ヤマサ醤油の品質を守ると同時に、新しい分野の開拓に努めました。
12代目は1983年(昭和58年)に就任し、ヤマサ醤油を醤油だけではなく、総合調味料メーカー・医薬品メーカーとして発展させ、更には日本の味を世界に広げるグローバルな事業展開へとつなげました。
1955年(昭和30年)、ヤマサ研究所の国中明は、醤油醸造で培った微生物に関する豊富な経験と知識をもとに、鰹節のうま味成分が、イノシン酸の中の5′-イノシン酸であることを発見し、続いて1957年(昭和32年)に酵母のリボ核酸(RNA)を分解して5′-イノシン酸を作る微生物酵素を発見しました。また、同じ酵素を使ってできる5′-グアニル酸が、椎茸のうま味成分であることもわかり、最終的には5′-イノシン酸と5′-グアニル酸の工業的生産に成功しました。これらのうま味成分は、昆布のうま味であるグルタミン酸ナトリウムと混ぜると驚異的にうま味が増幅するという「味の相乗効果」もあわせて発見し、国中明は1964年(昭和39年)に「恩賜発明賞」を受賞しました。
これらの発見を生かし、ヤマサは複合うま味調味料「ヤマサフレーブ」を発売し、新しい味の世界を広げました。かつては経験によって得られていたうま味は、ヤマサの熱心な研究者によって科学的に解明され、食の分野に大きく貢献しています。
核酸を分解してうま味成分を作るというヤマサ醤油の技術は、生命活動に有用な核酸関連化合物を作り出す技術につながっていきました。生命活動にとって必須の物質であるDNAやRNAを、独自の酵素によってヌクレオチドに分解し、さらに化学合成法やバイオテクノロジーによる酵素反応法をも駆使し、いろいろな種類の核酸関連化合物を世界中に送り出しています。ヤマサ醤油の核酸関連化合物は、医薬品の原料や、食品栄養の強化、病気を診断する診断薬など様々な分野で利用され、いまや核酸の分野において、その供給能力・生産技術・品質は、世界のトップクラスという定評を頂いています。
醤油から医薬品まで広がった多彩な製品開発は、ヤマサ醤油が取り組んできた微生物研究から必然的に生まれてきた成果です。微生物が持つ生命の力で、食品や医薬といった製品を生み出しているヤマサ醤油の活動は、「生命産業」そのものといえます。
戦前にヤマサ醤油が作っていた醤油は、普通のこいくち醤油だけでした。しかし戦後は食文化の復興と生活の向上に伴い、時代のニーズに反映した醤油を開発していきました。例を挙げれば、ヤマサが発見したうま味の相乗効果を利用した新ジャンルの「新味しょうゆ」、たまり醤油に匹敵するうま味とこいくち醤油の香りを兼ね備えた「さしみしょうゆ」などがあり、1992年(平成4年)には、有機栽培された原料の確保や製造工程の諸管理が共に困難な中、有機栽培大豆を使った「有機丸大豆の吟選しょうゆ」を業界に先駆けて製品化しています。
醤油だけではありません。人々の本物志向・簡便志向が高まってきた、1979年(昭和54年)には、業界では不可能といわれていた壜入りのストレートつゆを発売。1997年(平成9年)には、かつおだしが当たり前という固定観念が強かっためんつゆ市場で、昆布だしをメーンにした「昆布つゆ」の製品化に成功し、大ヒットを飛ばしました。
ヤマサ醤油は常識や固定観念にとらわれない発想で、新しい製品を作り続けているのです。
醤油はあらゆる料理の基本調味料として、日本の食文化を支えてきました。現在では国内のみならず、世界中に愛されています。
ヤマサ醤油は1994年(平成6年)7月、アメリカのオレゴン州にしょうゆ工場を完成させました。現在この工場では、アメリカ、カナダ、メキシコなどに向けて‘Made in U.S.A’のヤマサ醤油を出荷し、国際展開を順調に進めています。
アメリカ オレゴン州にあるヤマサ工場
ヤマサ醤油は品質保証の国際規格であるISO9001:2000認証を取得し安心できる製品作りを可能にするシステムの構築に向け、日々いっそうの努力をしています。2002年秋には幅広いニーズへの対応と安心をお届けするために、少量多品種の醤油を醸造するタンクを建設しました。このタンクはスーパーステンレスを用いており、何十年たってもさびにくく、さらに完全に外気と遮断されているため衛生的です。また、醤油醸造時に発生するアルコールを外に飛散させないため、環境にも優しい製品作りが可能です。
ヤマサ醤油では、品質を守りつつ安心な製品作りをつねに心がけています。