15歳で料理の道へ入った亀山氏は、同じく深谷出身の高名な料理家・故粂原桂藏氏のもとで修行。後に、故小松崎剛氏の店へ弟子入りしました。「17年間みっちり仕込んでもらいました。あれほど仕事に厳しい方はいませんね。ただ、仕事を離れると情の深い方でした。」師が出かける時は迎えに行き、鞄を持ち、ドアすら開けさせなかったという亀山氏。徹底して世話に専念していたら、調理場では教えることのない小松崎氏が、ふとした折にはっとするようなヒントを与えてくれるようになったそうです。それを励みに懸命に仕事を覚え、小松崎氏のもとで煮方を務めました。
さまざまな技巧を覚えていくと、それを使いたくなる時期が亀山氏にもあったそうです。でも、それは良い料理とは違うと言います。初めて料理長となった店で、ある時「お客様が何も食べたくないが、何か作って欲しいとおっしゃっている」と女将が言ってきました。会ってみると精神的に弱っている様子で、口も大きく開けられないと察した亀山氏は、はまぐりとちぎった豆腐でお粥を出しました。あえて薄く、見た目よりも量を控えたおかげで、お客様は「全部食べられた、おいしかった」と喜んで帰りました。食べられない方が全部食べたと喜んだ、これが料理だと実感したそうです。自分で店を持とうと思ったのも、納得のいく食材で、本当に喜んでもらえる料理を出したかったからだと言います。
懐石龜山のお客様は、1日に数組。すべてを引きたて、擦りたて、焼きたて、たきたてで出すには、これが限界という亀山氏。おいしい時の笑顔には、本物の笑顔が見えるそうです。そのため、しょうゆにもこだわります。
「いいしょうゆには、昆布や酒を入れたくありません。爽やかさがあり、素材を生かす。それがヤマサの持ち味ですね」。龜山で評判の雲丹出汁巻にも、最後にひと刷けヤマサの『重ね仕込しょうゆ本懐石』が塗られています。
若い人には、インターネットで調べるのも合理的だろうが、昔ながらの徒弟制度も必要だと言います。「人との触れ合いの中で初めて気づくこともあります。厳しい制約の中、考え抜いて最大限の工夫をするのが修行なのです」。盛り付けの厳密な決まりにも、1ミリだけ動かしてみる。「それで景色が変わることもあり、自分だけのセンスが生まれてくるのです」と語っていただきました。
懐石龜山 主人
亀山 佳幸 氏